庭園の歴史を紐解く
ホテルニューオータニの日本庭園の歴史は、400年以上前から。江戸時代初期、武将、加藤清正の下屋敷がありました。そして二代忠広の時に加藤家が改易になったのを機に、この屋敷は井伊家へと引き継がれ幕末まで中屋敷として使用されました。
井伊家は江戸幕府にあって強大な勢力を持ち、中でも井伊直弼は、1858年日本の鎖国を解いて米国のハリスと日米修好通商条約を結び、これを恨んだ攘夷派により桜田門外で暗殺されました。この土地はその後、伏見宮邸宅となり、松樹、楠の木に包まれた美しい庭園として知られるように。
太鼓橋
清泉池
第二次大戦後、伏見宮家がここを手放すにあたり、外国人の手に渡ろうとしたのを、ホテルニューオータニ創業者である故大谷米太郎が、“この由緒ある土地を外国に売り渡すのは惜しい”として買い取って自邸とし、荒れ果てた庭を大谷米太郎自ら陣頭指揮して改修しました。1964年、大谷米太郎は政府の依頼に応じて、東京オリンピックのため、この地にホテルニューオータニを建設。こうして、日本庭園はホテルニューオータニの一部となったのです。
それから、半世紀。日本庭園は少しずつ形を変えながらも、江戸時代から残る風情を今に伝えています。